空林荘の再建を
―厚生文教委員会に提出された意見書をめぐって―
2月23日、突然の火災により浴恩館公園にあった「空林荘」が焼失してしまいました。その再建を求め、6月市議会に陳情書が出され、12月議会での採決に向けて審議が続いています。しかし、11月21日に行われた厚生文教委員会でも、「市は現在、再建をする方針を持っていない」との一点張り。小金井市にゆかりのある歴史的建物がなくなったことはとても残念であり、今後、どうするのか、もっと市民の参加のもとで知恵を出し合い、協力して解決することができないものでしょうか。
基本構想に「参加と協働」を謳い、施策の4つの柱の1つに「文化と教育」を掲げて「歴史的文化遺産の保全と継承」といっている小金井市。案内板1つを勝手に設置することが、市の謳う「市民の参加」と「市民との協働」による「歴史的文化遺産の保全と継承」なのでしょうか。
以下、陳情書を出された中嶋直子さんが、6月12日の厚生文教委員会で行った陳述です。
4年半程前に、この席で意見陳述したことを思い出します。その時の陳述は「浴恩館公園の中の水路と池を埋め立てないでください」という内容でした。その時、皆さんに議論いただき、賛同をいただいて、全会一致の可決で埋められる寸前に、水路を埋め立てることを中止することができました。
その後、市の公園担当の方から公園のボランティアをすすめられ、最初は迷って断っていたのですが、とても熱心にすすめられて、「やらないよりも、やった方がいいかなというぐらいの軽い気持ちでやってみよう」と決心し、当時全国で取り組まれ始めていたサポーター制度にのっとって「浴恩館公園美化サポーター」というグループを作り、4年半、月に2回、落ち葉の季節は3回、夏場は1回位の清掃活動などを続けてきました。登録メンバーは20人を超えていますが、毎回の参加者は多い時で10名ちょっと、少ない時は5~6名という状況です。
作業をはじめたころは、公園は非常に荒れていて不法投棄が後を絶たず、また水路のヘドロも異臭を放っていて、市外からお見えいただく方には恥ずかしいような状態でしたが、清掃に入って1年も経たないうちに不法投棄はめっきり少なくなり、水路もだんだんときれいになってきました。一時期、水路に水が復活して流れて感動したのですが、今はまた、止まっています。井戸が涸れたのか、装置の不具合なのか判断するのはなかなか難しく、これまでも試行錯誤の連続でした。とにかく人工の水路を維持していくことは難しいことですが、子どもたちが楽しみにしている場所なので、これからも市の方々と共に力を合わせて取り組んでいきたいと考えています。
池があって、緑の豊かな浴恩館公園は、子どもたちにとってもとても魅力的な遊び場であり、教育の場でもあります。みどり学童の先生とは密に連絡を取るようにして、子どもたちも年に数回ですが活動に参加してもらっています。落ち葉掃きはとても楽しくて、上手な子がいたのですが、残念ながら原爆事故で落ち葉も汚染されているので、吸い込むと内部被ばくをしますので、この2年間は中止しています。樹木のネームプレート作り、竜の髭やヒガンバナや紫陽花の植栽などを楽しみながら、とても有意義で楽しい時間を過ごしています。
公園にかかわるようになってたくさんの方と知り合うことができ、いろいろなことを学ばせていただいています。公園に隣接してお住まいの方々とも顔見知りになり、公園の様子をお聞きすることもあります。下村湖人の研究者の野口周一先生、下村湖人読書会のメンバーの方々、公園を訪れる方々などとお話しし、それぞれ公園を大切に思われていることを感じています。
2年ほど前でしたか、湖人の碑の前で感慨深げに眺めておられる年配の男性がいらっしゃったので、お声をお掛けしたのですが、都立武蔵高校で歴史の先生をなさっていたそうで、毎年学生たちを連れて来て、畳の部屋で授業をしたんだそうです。「ここに来ると、学びたいという気もちになるんですよ」と、おっしゃっていました。秋の浴恩館のもみじの紅葉はとても素晴らしくて、私は小金井で1番じゃないかなと思っています。吉祥寺からもみじ見物に来たという方と出会ったことがあって、「吉祥寺にはもっといい見所があるんじゃないですか」と言いましたら「ここが1番です。毎年観に来ています。」とおっしゃっていました。そうした方々と出会って、改めて公園の魅力に気づかされたりもしています。
地域の宝である公園のことをもっと多くの人に知ってほしい、もっと親しまれる場所にしたいとの思いで、美化サポーター主催で野口先生をお招きして下村湖人の講演会をしたり、「次郎物語」の野外上映会をしたり、尺八お琴の野外演奏会や、空林荘で日本調の作品展もおこなったりしました。この時は4日間で512名もの方が記帳した方だけでも見えて、空林荘がとても華やいでみえました。忘れられない光景です。これから有効活用をしていければいいと思った矢先のことでした。
公園にいらした方は皆さん感じられるのではないかと思いますが、公園には歴史を感じさせる独特の雰囲気が漂っています。他の公園では味わえない浴恩館公園ならではの魅力があります。これはやはり、下村湖人や田澤義鋪などが全身全霊で取り組んだ青年教育の舞台であったということが深く関係しているのではないかと思います。全国から集まった若者たちが切磋琢磨して学び合った場所ということで、そうした先人達の魂が宿っているような気もします。当時の浴恩館での出来事を下村湖人がしっかり書き残していることや、当時を偲ばせる建物が残っているということが公園の価値を高めていると思います。
ご存知と思いますが、小金井市にはたった2つだけ市の史跡に指定されたものがあります。1つは浴恩館本館の建物、もう1つは焼けてしまった空林荘でした。空林荘は湖人が暮らし「次郎物語」を書き始めた所として、歴史的価値を認められて、本館より8年も早く史跡に指定されていました。空林荘の手前には、湖人の歌碑があり、レトロな建物と歌碑のある風景は、公園内の最も魅力ある場所でした。その建物が焼失してしまったことは本当に残念なことです。
2月23日の火災の情報は関東だけでなく、湖人の生家がある佐賀県でも何度もテレビ放映されたそうで、湖人の生家のある神崎市の職員の方がお見舞いを持って駆けつけられたと聞いています。また、日本青年館からも様子を見に来られたとも伺っています。湖人のファンの方など多くの方々がショックを受けられたと思いますし今、跡地がどうなるか、たくさんのかたが不安と期待をもって見守っておられるのではないかと思います
火事のあと2ヶ月ほど空林荘は崩れ落ちずに残っていたこともあって、私は、なかなか現実が受け入れられずにいたのですが、4月末に残骸が取り払われて、土台だけになった跡地を見て、「やはり空林荘は浴恩館公園になくてはならない建物だった」という思いが強まりました。そして、再建を望むようになりました。
今諦めて、再建を断念すれば、建物の姿とともに、歴史は風化してしまい、早くに忘れ去られることでしょう。今再建すれば、50年後、70年後の次の世代に伝え残すことができます。
火事の直後は、あの古さが再現できないのなら、再建しても違和感があるのではないかとも思ったりもしましたが、文化財担当の方に、「焼けた空林荘は20年ぐらい前に屋根も壁面も全面的に改築したもので、今残っている土台もそのときに設置したものであり。古い感じに建てることはできる。」ということも教えていただき、再建の陳情をしようと思い立ちました。
短い期間でしたが700人を越える署名が集まり、昨日も100名以上の署名を送ってくれた方もいて、再建を望んでおられる方が多いことを知り、とてもうれしく思っています。下村湖人の3男の下村徹さんや野口先生も再建を強く望んでおられます。野口先生の方へは、5月の後半に下村さんから陳情書が届いたそうで、署名を集める時間がないと、とても残念がっておられました。自分の想いだけはどうしても伝えたいと、お忙しい中、ぎりぎりのタイミングで陳情書を出されています。
このように多くの方が再建を望んでおられるのですが、問題は費用のことだと思います。厳しい市の財政状況の中で、費用をどう捻出するかということですが、こういう時こそ市と市民とが知恵を絞って考えなければならないと思います。例えば、市と市民とで、再建のための実行委員会のようなものを作るとか。費用集めに関してですが、これも例えばですが、再建費用の見積もりをきちんと出していただいて、目標額を決めて、寄付を募るということも考えられるのではないでしょうか。市のホームページなどで、全国に呼びかければ、かなりの寄付が集まるのではないでしょうか。
つい最近、東京都が尖閣諸島購入の寄付金を募ったということがありました。自治体が寄付を募る活動ができるのか確認したくて、先日元都議の西岡さんに尋ねましたら、やはり尖閣諸島購入をよびかけたのは東京都だったそうです。
小金井市でも寄付の呼びかけはできると思います。空林荘は次の世代に残していきたい小金井市の文化遺産です。関心のある方々は必ず協力してくださると思います。どうか、再建に向けて積極的に取り組んでくださいますよう心からお願いいたします。